開沼博著
視点の変わったものを見つけた。
社会学者らしく、震災の前から福島原発を研究していたそうだ。
これを読んで、今まで感じていた違和感の理由がわかった。
沖縄の米軍基地の問題も根っこは同じ。
日本の民主主義の在り方を問うものだ。
解決策はない。
未来に希望を見出すこともしない。
以前勤めていた職場で、行事の前日、
記録担当の係が打ち合わせで、職員にお願いをした。
記録用のビデオカメラの故障で記録がとれないので、
個人の機材を貸して欲しいと。
だれも名乗りをあげなかった。
わたしもビデオカメラを持っていなかったので、
貸すことはできなかった。
ところが。
当日、何人もの職員がビデオカメラを持ってきているではないか。
全体の記録がとれないので、どうやら自分の担当の記録をとるようなのだ。
唖然とした。
どうして係に貸し出せないのか。。。。。
理解できなかった。
今も、はっきりとはしないが、
漠然とこの『フクシマの正義』に通じるものがあるのではないかと思うようになった。
正義と相反する正義のぶつかりあい。
どちらも正義だから始末におえない。
高橋源一郎との対談で、高橋氏の「負け戦を楽しむ」という言葉が印象的だった。
祝島という過疎の村が、原発反対運動を生活の一部として続けている。
高齢化が進み、ムラの未来がなく、いずれなくなってしまうムラで、
未来の希望がない中で、反対のデモを"楽しんでいる"様子が語られている。
解決策はここにあるんだろうか・・・・
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