木曜日, 4月 18, 2013

フクシマの正義

開沼博著


視点の変わったものを見つけた。
社会学者らしく、震災の前から福島原発を研究していたそうだ。

これを読んで、今まで感じていた違和感の理由がわかった。
沖縄の米軍基地の問題も根っこは同じ。
日本の民主主義の在り方を問うものだ。

解決策はない。
未来に希望を見出すこともしない。

以前勤めていた職場で、行事の前日、
記録担当の係が打ち合わせで、職員にお願いをした。

記録用のビデオカメラの故障で記録がとれないので、
個人の機材を貸して欲しいと。
だれも名乗りをあげなかった。
わたしもビデオカメラを持っていなかったので、
貸すことはできなかった。
ところが。
当日、何人もの職員がビデオカメラを持ってきているではないか。
全体の記録がとれないので、どうやら自分の担当の記録をとるようなのだ。

唖然とした。

どうして係に貸し出せないのか。。。。。
理解できなかった。
今も、はっきりとはしないが、
漠然とこの『フクシマの正義』に通じるものがあるのではないかと思うようになった。

正義と相反する正義のぶつかりあい。

どちらも正義だから始末におえない。

高橋源一郎との対談で、高橋氏の「負け戦を楽しむ」という言葉が印象的だった。
祝島という過疎の村が、原発反対運動を生活の一部として続けている。
高齢化が進み、ムラの未来がなく、いずれなくなってしまうムラで、
未来の希望がない中で、反対のデモを"楽しんでいる"様子が語られている。

解決策はここにあるんだろうか・・・・

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